🌸花咲かおばさん🌸のいくらまる (id:ikuramaru) です。
産土神を知った私は、神様というものに興味がわき、神様についての本を探しました。
そこで見つけたのがこちらの本です。
この本を書いたのは、どんな人?
岡本彰夫さん
1954(昭和29)年 生まれ
1977(昭和52)年 春日大社に奉職。2001(平成13)年より2015(平成27)年まで春日大社権宮司。
私は、小さいときから、手を合わせることを大切にする家に育ち、長じて神主を志し、ご縁あって春日さまにお召しいただき、三十八条年間宮仕えをさせていただきました。
幼い頃から祖母や母に教えられた目に見えぬ世界への畏敬の念や食の大切さといったものが、今のこの時代に失われつつあることが悲しくてありません。
「神様が持たせてくれた弁当箱 」はどんなことが書いてあるの?
江戸時代の観相家、水野南北先生が生涯をかけて研究した集大成「南北相法極意、相法修身録」の中から、岡本彰夫さんが、心に響いた語句を書き出して座右の銘としていたものに解説や気付きを加えた本とのことです。
私の心に響いた言葉4選!
【1】天に無禄(むろく)の人を生ぜずといえり
私たちがオギャーと生まれてくるときに、天はすべての人が幸せになるための「物」や「事」を用意してくださる。
人は誰でも、それを持ってこの世に生まれてくるのです。生まれてくるときに、一生分の必要なものは与えてくださっている。
神様は私たち一人ひとりに見合った、幸せの弁当箱を持たせてくださいます。
この弁当箱は、私たちが、一生大事にしていかなければいけないものです。食べ物を粗末にしたり、むやみに食べ過ぎてはいけません。
これは食べ物だけに限ったことではありません。苦楽もそうでしょう。
天からいただいた弁当箱は無限ではありません。人としての努力や精進が必要です。そして、この弁当箱がある限り、天は必ず私たちをご覧になっているのです。
「人様のために」と考えて行動する人には、必ずそのお褒めが天からあります。しかし、結果を求めて行動してはなりません。心から「人様がお幸せにと思ってする純真な行為にこそ、天のお褒めがあるのです。
人生という
長い旅路に送り出すとき、
神様は幸せの弁当を
持たせてくださる
この世に食べていけない人は、いない
「必要なものはすでに与えられている」と考えれば、逆に、「今、起こっていることは必要なものかもしれない」と考えることもできますね。
つらいことが起きていたとしても、それは神様があなたをもっと幸せにするためにわざと起こさせているのかもしれません。
たとえば、私の娘は不登校になりました。
だけど、不登校にならなければ、「こんなにも子供と向き合おうなどとは思わなかっただろうな」と感じる自分がいます。
学校に行くという当たり前のことのように思っていたことが実は当たり前にできることではなかった。
当たり前って本当はありがたいことだったんだ、失ってはじめて気づくことでした。
いろいろな本を読んでいるうちに困難とは有り難いことを強く感じさせるものだと、そう思えるようになりました。
喜多川泰さんの(文庫)「福」に憑かれた男 (サンマーク文庫)
を読むとそれがよくわかります。こちらもおすすめの本です。
今度ご紹介しますね。
【2】天よりあたうる所の書物はことごとくその極まりあり、おのれが食天に極まりあるを以て無禄の人を生ぜずというこれを以て人は天禄を得るという
当時(昭和三十年代)は、ごはんはまだ釜で炊いていましたが、祖母は何日かに一度、葉っぱの切れ端や、残った少量のご飯粒を集め、私の手をひいて、家からおよそ数百メートルも離れた農家の小さな鳥小屋へ出かけました。
そしてその飯粒や葉の切れ端を鶏に与えると、また私の手を引いて家へ戻るのです。私が三、四歳頃の思い出です。
私は、子供心に、なぜ祖母がそんなことをするのかがわからず、あるとき尋ねました。「おばあちゃん、何でこんなことするの?」と。
すると祖母は、即座に「ミョウガに悪いからや」とただそれだけ言って、黙々と私の手を引いて歩いたのです。
そのときの光景は、今も鮮明に覚えています。
「ミョウガ」とは何か?この訳も分からぬ「ミョウガ」の存在に私は小さいときから悩まされ続けました。
小学生になり、本で、宿の主人が「茗荷(みょうが)])の味噌汁をたくさん食べさせるくだりを読んだときは、これが祖母のいっていた「ミョウガ」かと勝手に合点していたものです。
「ミョウガ」が何か皆さんは知っていますか?
ちなみにこちらが岡本さんが勘違いした、味噌汁の具のミョウガです。
そうめんの薬味で食べるとおいしいですよ。
「ミョウガ」が「冥加」であることを理解できたのは、神主を目指してからのことでした。
「冥加」の「冥」は「冥土」の「冥」です。
つまり、「見えない世界から加えられる力」であり、「知らず知らずのうちにこうむる(いただく)神仏や祖先からの御加護」のことです。
ですから、祖母は、天の御加護に申し訳ないから、少しの残飯も残さず、生き物に与えて、報恩、つまり恩返しをしていたということになります。
むだ使いをしない人は
天に得を積むことになり、
幸せな一生を送ることができる
人様がお幸せに、と思って行動する
【3】子に対して親は本なり、その本正しければ子自ら全うし
親が正しければ子もまた正しい
「正しい人」とは「わきまえのある人」です。
「わきまえのある人」とは、「術(すべ)」)と「心得(こころえ)」と「恥」を知っている人だと私は考えています。
「術」とは、方法や手段です。
「心得」とは善悪の区別であり、「恥」とは謙虚な誇りだと思います。
この三つを備えた人になりたいものです。
人は作り上げるもの。
子という種が
立派な実を結ぶように、
心を尽くさねばならない
わきまえを知る人になる
この言葉は、正直かなり耳が痛いです。
子供は親が言ったことよりも、親の行動をよく見ています。
果たして自分はよき見本となっているのか?たぶんダメダメでしょうね。
【4】まず悪因を解くことは陰徳の外はあらじ
「徳を積む」ことは非常に大切なことです。皆さんはこの徳に「陽徳」と「陰徳」の二種類があることをご存知でしょうか?
陽徳とは、人前で行う善行です。
人の前で行った善行はこの世で報われる。
人にも褒められ、賞賛されることも多い。
本人の信用にもつながる。
しかも誰も見ていないところで、いくら善いことをしても、誰も知りません。
しかし、その行為はすべて目に見えない世界で観ておられるのです。
これを陰徳と申します。
この世に置いておく徳は陽徳、
あの世に持っていくのは陰徳
人のなすべきは、不変の道
陰徳で、思い出したのが、スーパーボランティアの尾畠春夫さんです。
この方は、陰徳の塊のような人ではないでしょうか?
人のためにボランティアをし、子供の行方不明事件をたったの30分で解決しなければ、世間に知られることもなく活動していたはずです。
陰徳を積んでいたからこそ、神の御加護があって短時間で発見されたのかなと思いました。
陰徳の話は、有名予備校講師、林進先生も、こちらの著書で書かれていました。
「陰徳あれば・・・」
皆さんは、この続きが言えますか?
正解は、「陰徳あれば、(必ず)陽報あり」で『淮南子(えなんじ)』という中国の古い本に載っている言葉です。
僕はこの言葉を小さい頃から、父、母、祖父、祖母ら関わったすべての大人に教えられたといっても過言ではありません。少し前の日本人にとって、この言葉は、なんとしても子どもに伝えておかねばならない、そういう重みを持った言葉だったのです。
まとめ
皆さんは、「冥加」「陽徳と陰徳」という言葉を知っていましたか?
私は知りませんでした。見えない世界から加えられる力、神様の御加護。
長い間、親から子へ引き継がれてきた言葉のようです。
子どもに伝えるには、親が見本を見せなくてはいけないですね。
そもそも、私は、善行をしていないことに気づきました。
まずは、一日一善から始めようと思いました。
最後に、産土神について少しだけ書かれてました。
我々の生死離合を守られていると伝えられている土地の神様、つまり鎮守のお社は、「産土神うぶすなのかみ」と申し上げます。
「 生死離合」の意味を辞書で調べたのですが、載っていませんでした。
でも、生まれてから死ぬまでずっと守ってくださっているということは間違いなさそうです。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
少しでもお役に立てたらうれしいです。